パスタのお話

 最近、諸物価が高騰していますが、小麦粉の価格も高くなっています。となれば、当然、パスタの値上がりも避けられません。
 しかし、パスタ抜きのイタリア料理というのは考えにくい。
 そんなことを思いつつ、パスタについて「心にうつりゆくよしなしごと」を少し。

イタリア式正餐でのパスタ、ランチのパスタ

ジェノヴェーゼペーストのパスタ

 

 パスタを食すると言っても、日本とイタリアでは、食事のなかのパスタの位置付けが違うように思います。

 イタリア式の正餐では、まず前菜(アンティパスト)、次にプリモ・ピアット(第一の皿)で、パスタはこの段階で供されます。そしてセコンド・ピアット(第二の皿)がメイン・ディッシュで肉・魚をベースにした料理。さらにデザートが付きます。

 日本でも、このイタリア式に準じたレストランは少なくありませんが、ランチをパスタでとなると、パスタ一皿だけ、あるいは少量の野菜サラダの類が添えられたランチ、ということが多いかもしれません。

 著名な文化人類学者の石毛直道氏『麺の文化史』(講談社学術文庫、2006年)の表現を借りてこの違いを表現すれば、

「イタリアのレストランでパスタだけ食べて帰ったら、日本の料亭で味噌汁だけを飲んで帰ることにあたる。」(308ページ)

というわけです。

 ですから、ランチをパスタ一皿で済ませるときのパスタと、正餐のプリモ・ピアットで出てくるパスタが、かなり違うものになるのは当然でしょう。

 これは、じつはイタリア史のなかにさかのぼることができる差異でもあります。「パスタをつけ合わせてして食べる貴族や宮廷の料理」が一方にあり、「パスタそれ自体を単独でたべる民衆やブルジョワジーの料理」が他方にあった、というのです。(アルベルト・カパッティ、マッシモ・モンタナーリ『食のイタリア文化史』岩波書店、2011年、80ページ)

パスタの驚くべき多様性

パスタ・トレネッテ

 

 コロナ禍のため自宅などで「リモートワーク」をしているので、ランチは自宅でパスタというケースも増えているかもしれません。自分でソースを作り、魚介類や野菜などを組み込んだパスタをランチとすることがあるかもしれません。近所のスーパーなどに行けば、パスタのソースが多種多様に並んでいます。それを入手すれば手軽にランチができます。たしかに「多種多様」になっている現状ですが、上記の『麺の文化史』には、次のような記述があります。

 『麺の文化史』の底本は『文化麺類学ことはじめ』(1995年刊)で、もう4分の1世紀も前の本です。その本を書いた頃、石毛氏はイタリアにパスタの調査旅行をしてヴィンチェンツォ・ブオナッシージ氏と出会ったとのこと。ブオナッシージ氏は、『パスタ宝典』という本を書き、「ワシントン・ポスト」紙で「ミスター・スパゲッティ」と評されたそうですが、この本には、なんと1347種類のパスタ料理の作り方が掲載されているといいます。

 なぜこんなにも多様になるか。その理由を、石毛氏は、以下の3点にまとめています。

①料理に使用するソース(イタリア語ではサルサ)の種類が多いこと。
②料理の具材にする魚介類や野菜の種類が多いこと。
③パスタ自体に多くの形状があること。

以上の3点です。

 ②を中心に考えれば、多様になるのは当然でしょうが、それは別としても、①についていいますと、イタリアでは各家庭に伝えられたレシピがありますから、当然多様になります。それ以外にいろいろな「サルサ」を購入できるのはもちろんです。ただし、生産規模の大きくない生産者の製品は、日本では入手しにくいものも多いのが実情です。

 そのなかには、イタリアの農産物規格であるDOP(保護指定地域表示あるいは地理的表示保護)をクリアした原料だけを使用して生産されたものもあり、価格はいくらか高めですが、これを使えば比較的手軽に一皿を作ることができ、美味しく食することができるでしょう。

 この③は、日本にいてもある程度大きな店舗の売り場に行けば、形状の多様性をある程度は実感できるでしょう。

パスタ自体の多様性

フォリエドゥリーヴォ

 

 パスタの形状の違いとともに、生まパスタと乾燥パスタの違いもあります。

 乾燥パスタは生まパスタを乾燥させたもの、というわけではありません。両者は、歴史的にも異なるルーツをもっています。南イタリアでは硬質コムギの生産が盛んで、これは乾燥パスタの生産に適していました。これに対し、北イタリアでは硬質コムギの生産は難しく、軟質コムギが生産され、生まパスタが作られた、というわけです。

 イタリアは南北に長い国ですから、南と北で気象条件に大きな差異があることも作用しました。南イタリアの気象条件は、パスタを乾燥させるのに適しているのです。

 乾燥パスタは、運搬・商業化にも適した工業製品でもあり得るので、その販売によって富を築く地域や人びとも現れました。

 日本の高校で「世界史」を学んだ人は、古代ローマ時代は別として、中世から19世紀半ばまで、「イタリア」が統一的な国家ではなく、さまざまに分裂していたことを記憶しているでしょう。今、シチリア島について言えば、イスラームの勢力圏になっていたこともあるし、その後にはノルマン人の支配下に置かれたこともありました。その歴史は、シチリアに行けば、さまざまな古代遺跡や古い建築物に、明瞭に確認することができます。

 

Monreale-bjs-5

シチリア島のパレルモに残るモンレアーレ大聖堂内部。ビザンティン式のモザイクが残る。

 パスタは、もともとはアラブ方面から伝えられたもののようですが、このこともシチリアの歴史に照らせば、じつにもっともな話です。

 いずれにせよ、乾燥パスタは、地中海交易の重要な物産であったのです。

 ヴェネツィアと地中海貿易の覇を競ったジェノヴァは、贅沢な東方産品、たとえば香辛料、絹、綿、砂糖、金などを北フランスに売って大きな利益を得ていました。

 今、乾燥パスタは南イタリアで、生まパスタは北イタリアで生産されたと書きましたが、ジェノヴァはやや例外的です。ジェノヴァは、地理的には北イタリア(リグーリア州)にありますが、その強い覇権でシチリアを支配していたということもあり、北イタリアのなかでは、リグーリアの海岸地帯を含めて、例外的に乾燥パスタの生産地だったのです。そして、南のナポリとともに、中世から19世紀半ばにかけて、パスタ生産の名前を二分することになります。(この辺りの記述は、池上俊一氏『パスタでたどるイタリア史』岩波ジュニア新書、2011年、参照)

 こういう歴史があるからといって、現在生産・販売されているパスタが、そういう歴史を受け継いでいるとどこまで言えるのかわかりませんが、パスタの歴史を思い出してみるのも一興かもしれません。

(藤尾 遼)

リグーリア州伝統のロングパスタ「パスタ・トレネッテ」

オリーブの葉の形をした「パスタ・フォリエドゥリーヴォ」

 

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