ブリア=サヴァラン『美味礼讃』(その3・ワイン)
ワインの起源
『旧約聖書』冒頭の「創世記」に「ノアの箱舟」の話があります。箱舟の話のあとに、つぎのようなことが書かれています。
「さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、・・・」(創世記、9章20-21)
この記述によれば、『旧約聖書』の世界では、ぶどう酒は太古の時代に起源をもつということになります。
しかし、山本博氏の『歴史の中のワイン』(文春新書、2018年)によれば、ノアの話の原型と言えるものが、メソポタミアのギルガメッシュ伝説に出てくるとのことですから、人類の記録の残る最古の時期からワインの原形はあったと言わなければならないでしょう。

古代バビロニア時代の粘土板に刻まれたギルガメシュ
パブリック・ドメイン
スレイマニア博物館(イラク)蔵
サヴァランはむろんノアにもふれ、また、紀元前8世紀のホメロス作と言われる叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』におけるワインの記述にも言及しています。

カラヴァッジョ「バッカス」(1598年頃)
パブリック・ドメイン
フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵
バッカスはローマ神話の酒神。ギリシャ神話ではデュオニソス。
バッカスがゴブレット(グラス)を持ったこの絵では、バッカスの右手側に、ワインの入ったデキャンタが描かれています。
『美味礼讃』でのワイン
サヴァランは、ワインについていろいろなことを述べていて興味は尽きません。その例。
「ギリシャのワインはいまでも上等だと評判が高いが、利き酒の名手によって鑑定され、もっとも甘美なものからもっとも渋臭いものまでレベルにしたがって分類された。」(玉村訳、下巻、114頁)
「ギリシャやシチリア、イタリアのワインは、ローマ人にとっての甘露であった。ワインはそれがつくられた地域やブドウが収穫された年によって価格が違うので、甕(かめ)のひとつひとつに出生証明書のような付箋がつけられていた。」(同、126頁)
「グラスに注いだわずかばかりのワインが、小さなスプーン一杯のコーヒーが、香り高いリキュールの数滴が、ヒポクラテスも諦める瀕死の病人の顔にさえ最後の微笑をもたらすことを、われわれは数多く見てきたではないか。」(上巻、276頁)
などというところを読むと、古代からそういうことがあったのかと驚くばかりです。その半面、『美味礼讃』にも、少し違和感を感じるところが出てきます。
「飲むものはビールがいちばんよい。そうでなければボルドーか南仏のワイン。」(同、62頁)
ルイ16世の時代=在位1774〜92には、「あらゆる国のワインが、つくられ、輸入され、正しい順序で提供された。まず口開けはマデイラ酒。フランスのワインがそれに続いて各コースを分担し、スペインとアフリカのワインが最後を締める。」(同、160頁)
違和感というのは、フランス人がシメのワインを、「スペインとアフリカのワイン」にするというところです。「シメのワイン」は、今ならやはりフランス産にするのではないかという点です。時代の違いゆえということでしょう。また、「アフリカのワイン」が何を指しているのか、定かではありません。
甘口ワイン珍重の理由
そこで、前回(その2)で見ました辻静雄さんの『ブリア-サヴァラン「美味礼讃」を読む』の説明をみますと、サヴァランが挙げているワインに甘口ワインが多いことに関連して、つぎのように書かれています。
〔サヴァランの記述には〕「甘口ワインが多いのに気がつきます。これには醸造上の問題、ということは保存とか輸送とも結びつく問題があったと思います。私は〔中略〕ルイ・パスツール(1822〜95)のことに触れたのですけれども、フランスで安定したワイン造りができるようになったのは、このパスツールが、ワイン醸造の仕組みを明らかにして低温殺菌法でワインの酸敗を防ぐ方法を見出してからのことで、ブリヤ=サヴァランの死後四〇年ほど後の第二帝政の頃の話です。それ以前は天候に左右されるどころの話じゃなくて、毎年どんなワインが出来るかは神のみぞ知るといった状態で、〔中略〕
で、何故甘口ワインかといいますと、甘口だとワインが安定することを経験で知っていたからなんでしょう。」(189−190頁)
辻さんのこの本の「第四講 ワイン事情」は、サヴァランのワインについての話に立ち入って多角的に検討していて、おおいに参考になります。その検討は、フランスの食の歴史についての書籍に広くあたっていて、歴史学者のおもむきです。その辻さんに、サヴァランの甘口ワイン珍重の理由をこのように解説されますと、じつに納得します。(この項続く)
(藤尾遼)