ブリア=サヴァラン『美味礼讃』 ~トリュフについて~
グルメ文学の古典『美味礼讃』。その著者ブリア=サヴァラン(1755−1826)は、食通あるいは美食家として知られています。
この本に出てくるアフォリズム(箴言)のひとつである「君が何を食べているか言ってみたまえ。君が何者か言い当ててみせよう。」は有名です。美味しいものに関心のある人なら聞いた記憶があるでしょう。(訳文は、玉村豊男編訳・解説『美味礼讃』中公文庫)
サヴァランの肖像=パブリック・ドメイン
トリュフについて
そのブリア=サヴァランは、この本の「第6章 スペシャリテ(食べものあれこれ)」のなかで、トリュフについて比較的立ち入って述べています。
「いま、私がこんなふうに書いている一八二五年、この時代こそ、トリュフの栄光はその絶頂に達しているといってよいだろう。トリュフがひとかけらも出ない食事に招かれた、などということはとても口に出せないし、料理そのものはどんなに結構であっても、トリュフが載っていなければ人前に出すのは憚(はばか)られる。トリュフのプロヴァンス風・・・・・・という言葉を聞いただけで、思わず唾を呑み込まない人がいるだろうか。
トリュフのソテーといえば一家の女主人がみずから料理する取っておきの一皿だし、そう、端的に言えば、トリュフは料理のダイヤモンドなのである。」(玉村訳、上巻、164-165頁)
ここを読むと、サヴァランがどんなにトリュフ好きだったかがうかがえます。(「トリュフのプロヴァンス風」については、ここではふれないことにしますが。)トリュフ好きはサヴァラン個人の好みにとどまりません。
玉村氏は、この訳本の「解説」で、次のように書いています。
「キャビア、フォワグラ、トリュフを世界の三大珍味という慣わしがあるけれども、キャビアは魚卵だから使える料理が限定されるし、フォワグラも調理法は限られる。ところがトリュフはそのまま塊として食べるだけでなく、薄くスライスすればどんな料理にもくわえることができるし、もったいなければ細切りやみじん切りにして量を節約することもできる。〔中略〕
しかも、トリュフはとても高価なものだから、ほんのちょっぴり加えるだけで、ふつうの料理が飛びきり高価な一皿に変身する。だから値段の高いレストランへ行くと、ほとんどありとあらゆる料理にトリュフの砕片が散りばめられている(そうすれば高い値段に客も納得する)、という現象が見て取れる〔以下略〕」
というわけですが、つまり、サヴァランの時代から今に至るまで、トリュフは高級食材であり続けているというわけです。

白トリュフがかかったパスタ
トリュフについて:いくつかの観点から
『美味礼讃』には、トリュフの味のことだけでなく、トリュフに関することが、いろいろな観点から書かれています。
たとえば、その栽培については、いろいろ試みられてはいるが、収穫はなかったとサヴァランは書いています。(現在では、一部で栽培されているようです。)
トリュフには黒トリュフと白トリュフがあります。白トリュフは、産地がイタリアの一部にほぼ限られていて、希少価値が大きく、非常に高価な食材ですが、これはサヴァランの時代でも同じだったようです。
『美味礼讃』には、「ピエモンテ地方へ行くと、白いトリュフがあって、きわめて珍重される」というのです。
ピエモンテ州はイタリア北西部にあり、州都はトリノで、フランスと境を接しています。サヴァランは、白トリュフの産地については、ピエモンテ地方についてしか言及していませんが、フィレンツェのあるトスカーナ州にも白トリュフの収穫できるところがあります。

フィレンツェ近郊サン・ミニアート産の白トリュフ
また、トリュフの収穫についても述べています。「トリュフを見つけるにはそのために訓練したイヌやブタを使うのがふつうだ」(167頁)というのですが、訓練されたトリュフ犬を用いるという点は、現在でも同じです。
さらに、流通などの問題にもふれています。「トリュフの流行は、最近とみに増えた食料品店のおかげである。彼らはトリュフが儲かると知ると高いカネを払って国中を探し回らせ、荷物運びの飛脚や郵便馬車を使ったりして全国からトリュフをかき集めた。なにしろ栽培ができないものだから、手を尽くして探求するしか売り上げを増やすことができないのだ。」というわけです。
「荷物運びの飛脚や郵便馬車」という点は現在とはまったく異なりますが、当時は、珍しい食材を求める「流行」が広がりつつある時代のはじまりだったといえるかもしれません。
『美味礼讃』の翻訳について
このあと数回、ブリア=サヴァラン『美味礼讃』について書いていく予定ですが、ここでこの本の翻訳について書いておきます。
この本の訳には、①関根秀雄・戸部松実訳『美味礼讃』(岩波文庫、上・下二巻、1967年)があり、現在も新刊本で入手可能なロングセラーです。
次に、②『バルト、<味覚の生理学>を読む 付・ブリヤ=サヴァラン抄』(みすず書房、1985年)は、サヴァランのテキストの縮約版(原著の6割ほどの分量のフランス語版)の翻訳です(訳書で230頁ほど)。
そして、<味覚の生理学>についてのロラン・バルトの文章(訳書で40頁ほど)を冒頭に置いています。<味覚の生理学>というタイトルですが、じつはこれがサヴァランの本の原題です。
『美味礼讃』という名前は原題にはありませんが、日本では長く『美味礼讃』という書名で親しまれてきました。そして、サヴァランの著作・初版本(1825年)の副題には、『超絶的美味学の瞑想』とあり、美味学は、ガストロミー(gastronomie)です。
『味覚の生理学』トビラ(1845年版)=パブリック・ドメイン
さらに、③ブリア=サヴァラン『美味礼讃』玉村豊男編訳・解説(中公文庫、2021年)は、原文の9割ほどの分量の翻訳です。(玉村さんの訳書『美味礼讃』(新潮社、2017年)は原著の3分の2ほどの翻訳だったとのことです。)これは、「編訳・解説」とある通り、原文が部分的に省略されていて、その代わり、随所に玉村氏の「解説」が付いています。
私は、玉村訳が全訳ではないと知って、当初は敬遠していたのですが、かえってスッキリするところもありますし、また、玉村氏の「解説」も堂に入ったものなので、興味深く読みました。関根・戸部訳に不満があるわけではありませんけれども、なにしろ50年以上前の訳文ですから、訳語などにやや古さを感じることもあり、このブログでは文庫版玉村訳を拝借することにしました。
(藤尾 遼)