ブリア=サヴァラン『美味礼讃』(その5・ジャガイモ)
ジャガイモ
サヴァラン『美味礼讃』は、ガストロノミー(美食)に関する著作ですから、基本的に美食趣味に関すること、そして、王侯貴族好みの食が話の中心になっていることは確かです。
この連載の(その1)で紹介したロラン=バルトのエッセイ「ブリヤ=サヴァランを読む」で、バルトは、この「料理の社会学」すなわちサヴァラン『美味礼讃』には、「純粋な社会性」が露呈していると述べています。そして、「社会的条件がむき出しのかたちでハッキリ示されている」のは、ブリヤ=サヴァランが「語らずにいること(隠蔽していること)においてなのである。きびしく抑圧されているもの、それは大衆の食生活である。」「貧乏人にとっていちばん主要な食べものはじゃがいもであった。」(『バルト、<味覚の生理学>を読む』44頁)と書いています。
ジャガイモについてのサヴァランの記述
バルトの指摘の通りだと思います。ただ、重箱の隅をつつくようですが、サヴァランはジャガイモにまったく言及していないわけではありません。それを引用してみましょう。
①「澱粉は、穀類や豆類、根菜類、ジャガイモなどを粉にしたもので、完全無欠な栄養をもち、パンや、お菓子や、あらゆる種類のピューレ(マッシュ)のもととなって、多くの国において国民を養うもっとも重要な栄養食品となっている。」(玉村訳『美味礼讃』上巻・111頁)
②サヴァランと会食者たちの会話から
私「私は、ジャガイモは飢饉のときの非常食くらいにしか考えていませんのでね。そうでなくても、あんなに味のない、つまらない食べものはありませんから」
太った男C「それはまた、美味学上の異端説ですな。まったくジャガイモほどうまいものはありませんよ」(同、下巻・17頁)
こう見ますと、サヴァランにとって、ジャガイモは「飢饉のときの非常食」ではあっても、美食の対象ではなかったのです。
ジャガイモを食べる人を描いたゴッホ
という次第で、以下の話は「美食」から離れてしまいますが‥‥
ファンセント・ファン・ゴッホ(1853〜90年)に、ジャガイモを描いた絵があります。1885年制作ですから、まだゴッホがパリに向かう前の作品です。

「ジャガイモを食べる人々」(1885年)
パブリック・ドメイン
ゴッホ美術館(アムステルダム)蔵
テーブル上のすべての食べものが見えるわけではありませんが、ジャガイモと飲みものが見えるだけのようで、サラヴァンの描いた美食あふれる食卓とはまったく異なる風景、素朴な食卓です。
ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」は、2019年10月から20年1月にかけて、つまり、コロナ感染が始まる直前に、東京の上野の森美術館におけるゴッホ展で展示されました。しかし、「ジャガイモを食べる人々」には、いくつかのヴァージョンがあり、上野での展示作品は、ここに掲げた作品とは別ヴァージョンでしたが。
カラッチ「豆を食べる人」
今回、冒頭に引用したバルトの文をもう一度ご覧いただくと、サヴァランが豆類をジャガイモと並べて述べていることがわかります。その豆を食べる人を描いた絵に、アンニーバレ・カラッチ(1560〜1609)の作品があります。

カラッチ「豆を食べる人」(1583-85年)
パブリック・ドメイン
コロンナ美術館(ローマ)蔵
マッシモ・モンタナーリ『ヨーロッパの食文化』(平凡社)は、この絵には「貧しい人々の食事のイメージがよく表れている」と書いています。この絵で、グラスに注がれているのはワインでしょうか。この絵がだれのために描かれたのか、それは不明です。食べている豆がインゲン豆だとしますと、もとはといえば、コロンブス以降にヨーロッパにもたらされたもので、この点はジャガイモと同じです。
ヨーロッパに入ったジャガイモ
モンタナーリ『イタリア料理のアイデンティティ』(河出書房新社、2017年)によれば、「ペルー原産のジャガイモもイタリアでは一六世紀から知られていたが、普及したのは一八世紀だった。トウモロコシと同じような道を歩んで、やはり飢饉をきっかけに新しい食物として農業や食の体系に組み込まれるようになる。」飢饉との関連は、ドイツでも同様だったようです。
現在の私たちが当たり前のように食べている食材にも、いろいろな歴史があるのですね。しかし、ここでは、ジャガイモをめぐる歴史についてはふれないことにします。サヴァランから離れてしまいますから。
(藤尾 遼)