ブリア=サヴァラン『美味礼讃』(その2・チーズ)

『美味礼讃』のなかのチーズ

ブリア=サヴァラン『美味礼讃』には、「グルマンディーズについて」という章があり、その定義が述べられています。

「グルマンディーズ(美食愛)とは、味覚を悦ばせるものを、情熱的に、理知的に、常習的に愛好する行為をいう。」(玉村訳、上巻、247頁)

『美味礼讃』は、まさしくグルマンディーズにかかわる本、その古典です。そして、グルマンディーズを実践する人が「グルマン」つまり美食家。日本では「グルメ」という言い方のほうになじみがあります。

サヴァランの『美味礼讃』には、いろいろなアフォリズム(箴言)が記されていますが、そのひとつに、

「チーズのないデザートは片目の美女である。」

というのがありますので、そんなにも重視していたチーズについての『美味礼讃』の記述を少し見ておきましょう。

「ウェールズのうさぎ」(?)

サヴァランは、フランス革命時代の1790年に代議士に選ばれました。しかし、その後に権力を握ったジャコバン派からにらまれ、革命裁判所に出頭を命じられてしまいます。そこで、これを拒否して逃亡、スイスからドイツ、ロッテルダムを経てニューヨークに渡ります。1793年のことでした。そのニューヨークで、知り合いに、イギリス人が「ウェールズのうさぎ」と呼ぶ「トーストにチーズを載せて焼いたもの」をおごってやり、「静かに自分たちの過去の不幸と、現在の楽しみと、未来への希望を語り合って過ごすのだった」と書いています。(玉村訳、下巻、243頁以下)

しかし、このチーズがどういうチーズだったのかはよくわかりません。

老紳士との会食でのチーズ

1795年にジャコバン派が倒されると、サヴァランは96年にフランスに戻り、裁判所判事となり、グルマンディーズにいそしむことになります。1801年ころのこととして回想されている記述が『美味礼讃』に出てきます。(ここは、玉村訳では省略されていますので、関根・戸部訳に拠ります。)

そのとき、サヴァランは、ふたりの老紳士を招待、「まっ白なテーブル・クロースの上に三人前の食器が整い、それぞれの席の前には二ダースの蠣(かき)が金色に光ったレモンとともに置かれている。」ワインも1本ずつ。蠣の次には「腎臓のくし焼き、トリュフ入りフォワ・グラが出、そして最後がいよいよフォンデュだった。」そして次に、季節のくだものとジャム、コーヒー、さらにはリキュールで打ち止め。これがなんと朝食です。

食後には、少し運動しようという話になり、「家の中を一巡した」と書かれていますが、家の中を「一巡」することが運動になるというのですから、桁外れの大邸宅に住んでいたのでしょう。

それはともかく、午後になってランチの御馳走を供したところ、「ふたりはわたし自身予期しなかった二つの驚きを感じたのであった。それは私がポタージュとともにパルメザン・チーズを出させ、その後で辛口のマデラ酒を勧めたからである。それは二つとも、わが国の外交官の花形タレーラン公爵がつい先ごろ持ち帰られた珍しいおみやげであった。」(関根・戸部訳、上巻、246頁以下)というのです。

タレーランのおみやげとあっては、ふたりの老紳士も悦んだのでしょう。これが1801年ころのことだったとすれば、タレーランは当時ナポレオン政権下で外務大臣の地位にあったはず。ですが、パルメザンチーズは外務大臣がおみやげにするほど珍しかったのかと考えると、なにか不思議な気もします。

また、「第27章 料理の哲学史」にもデザートとしてチーズと出てきますが、どういうチーズなのかは判然としません。

Talleyrand 02

タレーラン
パブリック・ドメイン

ナチュラル・チーズ

辻静雄(1933-1993)というフランス料理研究家がいました。辻料理師学校を開校した人です。その辻さんに『ブリア-サヴァラン「美味礼讃」を読む』(岩波書店、1989年)という本があり、『美味礼讃』にみられるチーズについての記述にもふれています。

それによりますと、『美味礼讃』に出てくるチーズの名前は、パルメザンとグリュイエールだけで、いずれも「遠路輸送も可能な、あのパサパサの硬質チーズ」だというのです。辻さんは、ナチュラル・チーズがフランス人の共有財産になったのは、ブリア=サヴァラン時代からかなり後のこと、19世紀後半のことだと解説しています。

そう考えると、大邸宅に住み、タレーランとも知己の間柄だったサヴァランですが、多種多様なナチュラル・チーズを入手できる現代を見たら、なんというでしょうか。

スホーテンの静物画のチーズ

サヴァランの『美味礼讃』に出てくるわけではありませんが、フローリス・ファン・スホーテンSchooten (1585頃-1656)というオランダの画家がいます。

Floris van Schooten - Een Hollands ontbijt (KMSKA)

フローリス・ファン・スホーテン「オランダの朝食」(制作時期不詳)
パブリックドメイン
アントワープ王立美術館蔵

スホーテンは、フェルメール(1632〜75)やレンブラント(1606〜69)とほぼ同時代、オランダの「黄金時代」の画家。スホーテンは、豊かな市民生活を背景にした静物画などを書きましたが、それを受容する市民たちがいたのです。
ここに掲げた絵は、『美味礼讃』より100年ほど前の絵ですが、右奥にチーズが描かれ、朝食にチーズを食べていたことがうかがえます。

(藤尾 遼)

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